志野に上絵をつけるのは邪道かもしれないけれど、彩華錦をこういう形で発表したかった。
まさにこれが彩華錦。
華道家の趣向や使い勝手を考えて大きめのサイズ。
これはガス窯で焚いたもので、薪窯で焚くと違った趣になる。並べて見た時、良い悪いではなく、こういうのが好きだと思われる方がいるはず。
邪道と言われるかもしれないが誰もやれないこと、そういうところを狙っているんです。
元々上絵付けを営む家庭に生まれ、中学を卒業してしばらく家業を手伝いながらセラテクノに絵付けの勉強の為に一年程通っていたんです。ちょうど30歳頃に親父が亡くなった為、家を継ぐことになったんです。
自分は以前から「ひとつの作品を始めから完成までもっていく」そういう仕事をやりたいなぁと思っていたんです。そんな時に、地元の新しい橋に狛犬を造る計画が持ち上がって、陶芸作家の佐渡山先生が作陶するということになってたんですが、突然お亡くなりになってしまって…。ちょうど自分も先生とのご縁があって、作家さん達に声をかけて狛犬造りのプロジェクトを立ち上げたんです。その時、初めて「土」をかまったんです。それが一番の取っ掛かりだった。
「魯山人」が世間で騒がれていた23〜24年前、その頃魯山人写しの陶器が多く、上絵仕事が多かった。ほとんどが自分が(赤絵で)椿の紋様なんかを絵付けしていたんです。
自分が手がけた商品がカタログに載った時、窯名はあるが「保幸」の名前がどこにもない。
九谷焼とか波佐見(九州)などは絵付けが主体で陶器がなりたっているが、美濃焼はそうでない事を痛感したんです。自分が35〜36歳くらいの時かな。
美濃には「織部」志野とかいろいろな焼物がるんだけど、「彩華錦」というジャンルがあってもいいんじゃないかと。自分の仕事として進むべきと思った。周りからは「上絵の仕事がなくなっている」という声も聞こえて来るけどそういう考えに対するハングリー精神があったんです。
造り上げた形に対して「そのボディなら絵は必要ない」と言われるけど、自分は逆にそういった形に絵付けを施す、それが認めて貰えるような彩華錦を作りたいと思った。駄目かもしれないけどやってみたいんです。
「前衛的なもの」「古典的な絵」、それらが上手く融合した作品ができたらなぁと。
形と絵はこれからもずっと自分のテーマじゃないかなと思います。
昔からいろんな作家さんの陶芸作品を目にするたびに「こういう形にしてくれたらこんな絵を描くのに…」という自分なりの理想があったんです。
そこで形作りも自分でやるようになったんだけど、100%造形にエネルギーを費してしまうと、今度は絵が上手く描けない。仮に造形も100%、絵も
100%にしてしまうと、それはそれでお互いが主張し過ぎてしまう。いい形があれば絵は必要ないし。バランスを保つのにいつも苦労します。
で、その頃から陶芸展などに出展し始めて。初めての出展は49歳くらいかな。その後「朝日陶芸展」にも挑戦したんですけど落選してしまいまして。
先生方から「金とか銀とかそんな絵付けは要らない!」と言われて泣く泣く帰ったこともあり、悔しい思いをしました。
- 岐阜県土岐市下石町(おろしちょう)にあるギャラリー&茶せんラテの店。
加藤保幸のこだわりが詰まった、今と昔が交錯するちょっと不思議な空間、それが「玄保庵」です。
館内は白川郷をモチーフとした古民家風で、ゆったりとしたひとときを過ごせます。
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加藤保幸からのメッセージ
玄保庵は自分の作品を発表する場。
ここを作った当初、ギャラリーを持っている作家さんが少なかった。ギャラリーを持つのは苦労するが、やり方しだいじゃないかな。
他では自分の作品を相手にしてくれない。不景気の真っ只中だったけど、自分独自の彩華錦をひとりでも多くの方に見て頂きたいたいという夢があったから…。
これを作ることで最後の夢が叶いました。ご来館頂き「彩華錦」を少しでも感じて頂ければと思います。